自動車市場の新興強者BYDとトヨタの反撃
⊙電気自動車をベースにグローバルトップ10入りした中国BYD、電気自動車・水素車・エンジン車を全て作るトヨタ
⊙バッテリー会社として出発したBYD、2023年300万台販売
⊙中国、様々な部品を連結できる環境が作られれば、瞬く間に多くの企業が現れ、急速に多様な製品バリエーション を作り出す
⊙ Huawei社は、自動車向けOS(運営体制)を作り、中国の自動車メーカーに提供開始
⊙トヨタ、BYDと研究開発合弁会社を設立し、中国内研究所統合
自動車産業100年ぶりの大変化に突入した後、すべてが混乱している。既存の自動車メーカーは電気自動車(EV)だけ作って内燃機関車を放棄すべきか、それとも電気自動車、内燃機関車、ハイブリッド車(HEV)をすべて作るべきか右往左往している。各国政府は気まぐれな政策を作り、マスメディアは極端なトーンでこの混乱を加重させた。
このような中、徐々に競争構図がその輪郭を現わしている。既存の自動車メーカーの代表走者である日本のトヨタは社長を交代し、電気自動車競争に本格的に乗り出している。中国ではBYDという企業が、数多くの自動車企業を追い越し、中原を掌握した。
2023年10月に開かれたジャパンモビリティショー、そして11月に開かれた広州モーターショーは、変化した自動車産業環境の中で日本と中国の自動車メーカーの覚悟を如実に見せた。テスラによって引き起こされた電気自動車と呼ばれる旋風は、今は東アジアの自動車産業において新たな対決の様相を生み出している。
かつて自動車産業は欧米の産業だった。しかし、1970年代に日本の自動車メーカーが跳躍し、2000年代には現代自動車がグローバル企業に成長した。そして最後にBYDが中国自動車の代表走者として登場し、現代車、トヨタ、BYDという東アジア版自動車三国志の主人公がすべて決まった。今残ったのは競争だけだ。
この記事では、中国自動車市場の変化とBYDという会社について先に述べた後、ジャパンモビリティショーで見せたトヨタの変化した方向と底力、最後に韓国企業の対応方向について簡単に言及したい。
中国電気自動車産業の父、万鋼(バン・コウ、Wan Gang)
中国政府は、自国産業発展のために外資企業が中国市場に入る場合、自国メーカーが技術と工場の運営能力を学べるようにしなければならない政策を展開してきた。そのため、外国の自動車メーカーが中国に工場を建てるためには、必ず中国企業と50対50の資本比率で合弁会社を設立しなければならない。中国の伝統的な自動車メーカーである第一汽車は一汽VW、一汽トヨタという合弁会社を作り、上海汽車は上海VW、上海GMという合弁会社を作った。ここで、汽車は中国語で自動車を意味する。一言で市場を開くから技術を渡せという政策だ。
しかし、この政策だけで第一汽車、上海汽車など中国固有ブランドの自動車メーカーが成長することは難しかった。自動車産業を発展させるためにはエンジン開発が必須だが、中国企業は競争力のあるエンジンを作ることができなかった。技術力を確保できなかった状態で市場だけを開いた結果だった。
万鋼と電気自動車の大転換
一方、2001年に万鋼(Wan Gang)という人物が登場する。彼は1952年生まれで東北林業大学で道路橋梁学科を卒業し、同済大学で構造力学で修士号を取得した後、大学に残り研究を進めていた。ちょうど同済大学に客員教授として来ていたドイツ人教授が彼の実力を認めてドイツに招待した。
それで、万鋼はドイツのクラウスタル(TU Claustal)大学で留学、自動車騒音を減らす研究をして機械工学博士号を取得した。その後、彼は1991年からアウディでエンジニアとして働きながら大学で時間講師として学生を教えた。
中国政府はドイツの自動車メーカーで働いている万鋼という人物に注目して帰国を説得した。結局、2001年、彼は母校の同済大学に移し、中国政府が推進する中国ハイテク技術研究発展計画(別名863計画)の自動車部門リーダーとなり、中国自動車産業の発展のための戦略を組み始めた。
ここで、863計画とは、86年3月に発足した政策に付けられた名前だ。以後、万鋼は2007年非共産党員でありながらも、初めて中国科学技術部長(大臣職に該当)と抜擢され、2018年3月まで在任した。
万鋼は中国自動車産業を発展させるために自動車産業構造を電気自動車に大転換する政策を展開した。これにより、中国経済を成長させることができ、中国の石油輸入依存度を減らすことができ、環境汚染を減らすことができると考えたのだ。彼の政策により、中国政府は電気自動車に莫大な補助金を支払と同時に、内燃機関車の購入に制限を加えた。結局、この政策が効果を収め、中国ブランドの市場シェアが2011年28.6%から2023年は55.3%(10月まで累計)に成長した。ついに中国固有ブランドが外国合弁ブランドを追い越し始めた。中国人は万鋼を「中国電気自動車の父」と呼ぶ。
一方、米国では電気自動車メーカーのテスラが2017年に大衆用電気自動車「モデル3」を発売し、本格的に生産量を拡大した。同年、テスラは中国政府と現地生産のための交渉をした。当時、外資メーカーは必ず中国メーカーと合弁形態を取らなければ工場を建てることができなかった。しかし、テスラは単独ブランドで自動車を作ることにこだわった。結局、中国政府はテスラの要求を受け入れた。テスラは2019年1月に上海に工場を建設し、わずか1年で量産に入った。そして2020年1月「モデル3」の納車イベントを開いた。この時、イーロン・マスクは壇上で「モア・ダン・ユ・ノウ(More than you know)」という歌に合わせてばか舞をし、中国人は歓呼した。
テスラのナマズ効果
なぜ中国政府はテスラに特恵を与えたのか。中国自動車産業専門家の湯進(Tang Jin)は、「ナマズ(Catfish)効果」を作り出すためだったと彼の著書で主張する。(《中国のCASE革命2035年モビリティ未来図》、2021年、日本経済新聞発刊)ここでちょっとナマズ効果の意味を言わせてもらう。北欧の漁師が遠い海で獲ったニシンを水槽に入れて港に運んできたが、港に到着した頃、ニシンはほとんど死んでいた。これにノルウェーのある漁師がニシンの天敵であるナマズを水槽に入れた。緊張したニシンは一生懸命動いたので、港に到着するまで生き、漁師は高価でニシンを売ることができた。ナマズ効果とは、限られた市場で競争が消えたら、企業が怠けるため、強力な競合相手を活用して革新を生み出すことを意味する。
中国政府はテスラをナマズとして活用した。テスラは中国の電気自動車市場に活力を吹き込み、電気自動車メーカーを刺激した。そして中国の現地部品会社を新たに育成した。つまり、電気自動車の設計と製造のローカライズを通じて、中国内に電気自動車部品サプライチェーンを新たに構築したのだ。それで、中国で作る「モデル3」の原価は米国より20%安いと言われている。
この頃偶然にコロナ19によって中国の出入りが制限され、自動車産業専門家は中国自動車産業の変化に気づかなかった。ただ数値だけで外国系ブランド(ドイツ、日本など)の市場シェアが落ちているという事実を確認するだけだった。中国の封鎖が終わって初めて開かれた2023年上海モーターショーで自動車業界の全関係者は驚いた。BYDのような中国ブランドの自動車レベルが驚くほど上がっていたからだ。
テスラというナマズは中国の電気自動車メーカーだけの眠気を覚ましたことに止まらず、中国という巨大な水槽全体を揺動させた。Huaweiなどの通信会社、Xiaomiなどの携帯電話メーカーまで電気自動車産業に飛び込み始めた。そしてこのような競争過程で2023年BYDは中国自動車市場で第1位(グローバルトップ10)のメーカーとして登場するようになった。今、中国の自動車市場のマップは以前とは全く変わっている。
BYD創業者、王伝福(ワン・チョワンフー)
かつて現代車が急成長し、連日全世界の自動車市場で注目を集めていた時期があった。世界各地に毎年工場を建て、輸出量を増やした。現代自動車は発展途上国自動車メーカーのうち初めてグローバルトップ5に上がった(2010年、574万台販売)。そして2014年に800万台の販売を突破した。当時、自動車業界では現代車は恐怖の対象だった。今BYDは勢い良かった過去の現代車ととても似ている。基本的に創業者の立志伝的なストーリーが似ている。
BYD会長のワン・チョワンフーは1966年、安徽省の僻地で2男6女のうち7番目に生まれた。父は木工だった。彼の家は貧しかった。1979年、ワン・チョワンフーが13歳になった年に父はがんで世を去った。18歳の兄ワン・チャンパンが学業を中断し、生活戦線に飛び込んだ。2年後には母も死亡した。果てが見えない貧困の中でも兄は弟のワン・チョワンフーにいくら大変でも勉強を続けなければならないと説得した。兄の期待に応えてワン・チョワンフーは中南工業大学(現中南大学)に合格した。兄は弟の入学金を出すために妻の敗物を売り、弟のために大学の近くに引っ越しまでした。
ワン・チョワンフーは大学で冶金物理化学を専攻しながらバッテリーを勉強した。彼は大学を首席で卒業した後、1987年に北京非鉄金属研究院で修士課程を踏んだ。卒業後は同じ学校傘下の301研究所で勤務した(当時中国政府は国有研究所の名前に設立順に番号を付けた)。彼は301研究所で新型バッテリー開発プロジェクトを成功させ、26歳の若い年齢で研究所の二人者に昇進した。27歳の1993年、ワン・チョワンフーは301研究所が深セン市に設立した比格電池有限公司の代表に就任した。
1994年、ワン・チョワンフーは日本が環境保護のために伝統的なニッケル-カドミウム電池の生産を中断するというニュースを聞き、これが大きな機会だと考えた。彼は301研究所にニッケル-カドミウム電池の生産を提案した。彼は食生活の解決が急務だった中国では、環境は考慮対象ではなく、携帯電話市場が急成長するだろうと信じた。しかし、研究所は彼の提案を拒否した。ワン・チョワンフーは会社を辞め、28歳の時にビジネスを始めた。このような理由で設立された会社がバッテリー専門メーカーのBYDだ。
28歳で創業…10年後、グローバル企業に成長
設立当時、人員は10人に過ぎなかった。資本が不足して高価な機械より低賃金労働者を雇用してバッテリーを生産して事業を拡大した。ちょうど1997年アジア金融危機でバッテリー価格が暴落すると、日本のバッテリー会社は損益が合わず減産した。しかし、安価な原価競争力を備えたBYDは、むしろ生産量を増やし、フィリップス、パナソニックなど日本の大企業に納品し、グローバル企業に成長した。2003年創業10年目にBYDは日本の三洋を追い抜き、ニッケル-カドミウムバッテリー部門で世界1位になった。
ワン・チョワンフーの野望はスマートフォンのバッテリー事業に満足しなかった。ワン・チョワンフーは2002年BYDを香港証券取引所に上場して確保した資本で自動車産業に挑戦した。会社内部では皆が危険だと懸念し、株主も反対した。自動車産業進出を公式化した後、BYD株価は40%暴落した。しかし、間もなく自動車が電気自動車に変化すると考えたワン・チョワンフーは、2003年に西安秦川汽車を買収した。そして「日本車のコピー」で内燃機関車を作り始めた。
自動車産業は携帯電話バッテリー事業と違って、簡単な仕事ではなかった。数回の成功と失敗が繰り返された。2012年には品質問題が発生し、収益性が落ちる危機に封着した。ワン・チョワンフーは記者会見を開き、公開謝罪し、ブランドと品質向上を約束した。
この時、中国政府が救援投手として出てきた。公務用新エネルギー車のデモンストレーション事業を実施し、政府購入量の50%をBYD電気自動車「E6」に割り当てたのだ。ここで、新エネルギー車とは「電気自動車(EV)」と「プラグインハイブリッド車(PHEV)」を意味する。中国政府は2015年、事実上中国バッテリーメーカーにのみ補助金を支給するホワイトリスト制度も施行した。
テスラが中国工場で自動車を作り始めた2020年、BYDは「漢」という電気自動車を発売した。
この自動車は、従来まで作ってきたBYDの自動車とはとても違っていた。デザインもカッコイイだけでなく、性能と品質も良く、中国で大きな人気を集めた。BYDは「漢」を作りながら低コストで短い期間で競争力のある電気自動車を作ることができる自分なりの方法論を確立した。
BYDは電気自動車に自信が付き始め、以後発売する自動車ごとに中国人の人気を集めた。2022年3月、BYDは内燃機関車両の生産を中断すると発表した。
BYDが生産する車両の名前を見ると、ワン・チョワンフーが中国文化にどれだけの誇りを持っているかがわかる。BYDは様々な種類の車両を作るが、漢、青、宋、元、唐など歴代中国王朝の名前をつけた「王朝シリーズ」もある。
ワンチョンプは良いクルマを作って中国の地位を上げたいという使命感が強い人だ。ワン・チョワンフーの側近エンジニアの中には、彼と同水準か、より多くの給料を貰う人がたくさんいる。
BYDの自動車販売台数は2020年41万台、2021年72万台、2022年180万台へと急成長した。2023年には300万台を販売することが予測されている。これによりグローバルトップ10に上がったBYDは、その余勢を駆って、タイ・ブラジルなどに工場を建設している。既存の世界有数の自動車会社はBYDとの競争が避けられない時代に入った。
中国式「類似(Pseudo)オープンアーキテクチャ」
中国市場はユニークだ。1つの製品が人気があれば、多くの企業が駆けつけて真似て似たような製品を作り出す。その速度も速い。この過程で企業は多産多死る。だから、中国企業を単にコピー品や作る水準だと貶しやすい。しかし、このような貶しとは違って、中国産業にはそれなりのメカニズムが存在する。早稲田大学の藤本教授は、彼の著書『モノづくり』で、このような中国産業を「類似(Pseudo)オープンアーキテクチャ」という用語で説明した。
オープンアーキテクチャとは、PCのようにオープンな市場でプリンター、モニター、コンピューター本体などの部品を購入し、業界標準の連結方式で製品を構成する方法をいう。通常、自動車は1台の車両を開発する際に製品の完成度を上げるために専用部品を作って使用する。しかし、モジュール化気質に優れた中国人は、製品の完結性(Integrity)を犠牲にしても、なんとか部品をつなぎ合わせて製品を作り出す。過去、中国の或る自動車メーカーは、一つの車体にトヨタエンジンと三菱エンジンをそれぞれ装着し、顧客がオプションとして選択できるようにした。まさにこのような製品開発方式を類似オープンアーキテクチャという。ここで、「類似」は互いに似ているという意味である。
中国は、様々な部品を連結できる環境だけを造成すれば、瞬く間に多くの企業が現れ、急速に多様な製品バリエーション(variation)を作り出す特技を持っている国家だ。このスピードに適応できなければ淘汰される。
サムスン電子が中国市場で押し出された理由
このような現象は中国スマートフォン市場で鮮明に現れる。台湾のメディアテック(Media Tek)という半導体会社がスマートフォンの脳に該当するAP半導体(AP=Application Processor)を廉価で作ってアプリケーションソフトウェアとともに提供した。これにより、過去に比べてスマートフォンに入る多様な部品(例えば、カメラ、Wi-Fi、バッテリーなど)を簡単に連結して全体製品を作ることができるようになった。すると、スマートフォンを作る企業が雨後竹筍のように生じ、多様なビジネスモデルが登場し、市場の版図が変わった。元々製品がモジュール化されると、開発スピードは速くなる。このスピードに適応できなかったサムスン電子は、一瞬間に中国市場で新興スマートフォンメーカーに追い抜かれた。2013年、サムスン電子の市場シェアは20%で1位だったが、2018年に1%以下に墜落した。
中国のスマートフォンで起こったこのような変化をコラムニストのチョン・ショヤイ(陳帥)は、「メディアテックモーメント(聯発科時刻)」と呼んだ。ちなみに、半導体分野では米国ミシガン大学のコンウェイ(Lynn Conway)とミード(Carver Mead)教授が集積回路(VLSI)設計の時にデザインルール(Design Rule)を設定した後、設計と製造が分離された。これを「グーテンベルクモーメント(Gutenberg Moment)」という。
2023年に広州モーターショーに出てきた中国の電気自動車を見ると、中国人の強みであるモジュール化性向がよく表れていた。過去、中国のスマートフォン市場で起こった「メディアテックモーメント」のような現象が中国の電気自動車市場でも起こっていることではないかと思った。
中国通信装備会社のファーウェイは、車両用OS(オペレーティングシステム)を作り、中国のいくつかの自動車メーカーに提供し始めた。おそらく中国政府は、ファーウェイに電気自動車の開発で遅れた中国国営自動車企業をソフトウェアの側面でサポートしろという任務を任せたかも知れない。今では中国電気自動車産業の発展メカニズムを正確に把握することが何よりも重要である。
手をつないでお互いのメリットを学ぶトヨタとBYD
日本が製品を作る方法は中国と正反対だ。日本ではカタログに載っている部品を購入し、一つの完成品を構成する技術者を「カタログエンジニア」と呼び、下手と考える。真のエンジニアは、部品一つを組み立てるときにも新しい価値を取り入れ、経験を蓄積しなければならないという。だから日本人は製品を作る際に品質、生産性、耐久性など様々な要素を考慮する傾向が強い。トヨタが特にそうだ。そのおかげでトヨタ車両は燃費が良く、長期間故障がない。しかし、このような性向が過剰品質を生み出し、急速に変化するデジタル時代に日本の電子・半導体企業の足首を捉えた。内燃機関と違って、電気自動車は家電製品やスマートフォンと同様の特性を持つ。トヨタは果たして電気自動車にどのように対応するのか?動きが注目される。
国内の多くのマスコミ、証券アナリストは、トヨタが電気自動車の開発に遅れたと蔑む。表面的には正しい話かもしれないが、裏面まで見れば間違った話だ。いったん自動車メーカーの中でバッテリーを直接開発して工場を運営できる会社はBYD、テスラそしてトヨタだけだ。
トヨタは1997年のエンジン、バッテリー、モーターが入るハイブリッド車両プリウスを初めて量産して以来、持続的にバッテリー開発・生産能力を蓄積してきた。トヨタの系列会社であるPPES(トヨタ51%、パナソニック49%)の場合、正規職員が6000人に達する。過去のリチウムイオン電池の名家として知られる三洋出身のエンジニアがほとんどだ。現在、トヨタは独自に米国ノースカロライナにバッテリー工場を建設している。2025年までに計139億ドル(約18兆ウォン)を投資する予定だ。
用意周到なトヨタは、2020年4月、中国のBYDと電気自動車研究開発合弁会社(BTET)を作った。2020年はテスラが中国で工場を稼働した年だ。その年、BYDは1年にたった41万台の自動車を販売する水準だった。トヨタは中国では中国人の力を借りなければならないことをよく分かっているようだ。トヨタはBYDから廉価で電気自動車を作る方法を学び、BYDはトヨタから品質を確保する方法を学んでいる。トヨタ社員100人以上がBYDで常駐しながら一緒に車両を開発する。狭い意味の競争は市場で血まみれで戦うことだが、広い意味の競争は相手に学ぶことまで含む。今、トヨタとBYDは手をつないでお互い必要な部分を学んでいる。
トヨタの平板型水素タンク・バッテリー
トヨタは、グローバル市場は多様で各地域別に最適な車両が存在すると考え、電気自動車、ハイブリッド水素車、エンジン車を同時に開発できる戦略を駆使している。これをマルチパスウェイ(Multi Path Way)戦略という。ただ言葉だけで終わるのではない。
トヨタは2023年4月、佐藤恒治社長が就任した後、積極的にこれまで準備してきた各種新技術をメディアに公開し始めた。この中には全固体電池サンプル、次世代電気自動車の生産方式もある(「月刊朝鮮」2023年9月号参照)。
2023年10月ジャパンモビリティショーで、トヨタは外信記者にも新技術を一部公開した。この中で興味深いのは「平板型水素タンク」と「平板型バッテリー」だ。水素燃料電気車を作るときは、通常、次の写真のように円筒形の水素タンクを使用する。しかし、円筒のサイズによって室内空間が狭くなる欠点がある。トヨタは水素タンクを広い平板状にして車両の底下部に入れることができるようにした。また、電気自動車のバッテリーを車両の床全体の大きさと同じ大きさの一つの平板とした。
2026~2027年頃に量産車に適用される予定だという。これにより、様々な形態の水素電池車、電気自動車などを容易に作ることができる。トヨタは電気自動車に本気だという言葉を実物で証明している。
部品・ユニット単位の技術競争力が重要
今、中国自動車市場は中国以外の市場とその面貌がとても変わった。新しいブランドが現れ、それなりに良い電気自動車が廉価で販売されるのが中国市場だ。このため、これ以上収益を上げるのが難しい市場に突変した。このような状況で韓国自動車メーカーはどのように対応すべきか?
まず今進んでいる製品変化の本質的なメカニズムを把握することが急務だ。BYDと他の中国の新興電気自動車メーカーは、どのようにしてこのような短期間に電気自動車という波に乗ることができたのか。特に電気自動車を構成する部品間の連結構造の変化や、これに関連するソリューション(ソフトウェア)に変化があるかなどを把握するのが急務だ。
中国自動車市場、特に電気自動車市場は、もはや車両を販売して収益を上げるよりも、変化する自動車産業のトレンドを理解しながら能力を構築するための市場に変化した。中国で進行する自動車企業間で行われている能力構築競争に一緒に乗らなければならない。今後は中国以外の市場で中国メーカーと競争しなければならない状況に直面するだろう。その最初の戰場は東南アジアになると思われる。
第二、電気自動車時代になると、部品・ユニット単位の技術競争力がさらに重要になる。バッテリー、モーター、車両用半導体など電気自動車に不可欠ないくつかの部品が存在する。
先立ってサムスン電子が中国のスマートフォン市場で急速にシェアを失ってしまったと述べた。最近「日本経済新聞」の中国ファーウェイ・スマートフォン分解報告書によると、2020年に発売したファーウェイのスマートフォンMate 40 Proの価格は366ドルで、韓国部品が全体の31%を占めていた。そして2023年8月に発売したMate 60 Proの価格は422ドルだが、韓国の部品が36%を占めていた(図参照)。サムスン電子が中国の新興スマートフォンとの競争で負けたが、部品開発競争力を持っているので、何とかビジネスを営むことができるという話になる。中国ビジネスに重要な示唆点になり得る。
韓国自動車、中国現地で学ぶべし
第三に、中国電気自動車の変化に追いつくためには、組織構造次元での迅速な対応力が重要である。変化が速いところでは、専門化された組織よりも多くの部署が統合された形態の組織が良い。必要なら、中国で変化を主導する企業と協力体制を構築し、懸命に学ぶ姿勢が必要だ。
過去、トヨタは中国に3か所の製品開発研究所を置いた。2つの合弁会社研究所(広州トヨタ、一汽トヨタ)とトヨタ独自の研究所がそれだ。しかし、2023年7月に3カ所の研究所を「トヨタ知能電動車研究開発センター(Intelligent ElectroMobility R&D Center by Toyota)」という名前の研究所に統合した。トヨタの部品系列会社であるデンソーとアイシンもこの研究所に参加し、中国人向けの車両開発プロジェクトに乗り出すと明らかにした。トヨタは中国自動車市場の変化を把握し、一歩早く組織次元の対応をしているようだ。
第四に、中国電気自動車メーカーの競争力分析はペーパー作業ではなかなか把握しにくい。中国現地でプロたちが直接中国部品会社を訪ねて、現場を調査しなければならない。今、これまで鈍くなった韓国企業の野性的感覚を再び鋭く磨かなければねならない時だ。
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